スペキュロス的食メモ

”食べること”に興味あり。食から季節や文化を感じながら暮らしたい。

植村義次

20代、図書館で京和菓子の写真集を見て感動し、和菓子巡りの旅と称して京都へ行った。

当時は今のように情報が溢れているわけではなくその本に掲載されているお店の名前と住所を頼りに和菓子屋さんを訪ねた。いろいろな和菓子を購入したが、特に印象に残っているのが植村義次の「春日の豆」だった。

御所の前にあるその店は間口が狭くいかにも昔ながらのお店。

(植村義次さんのtwitterより)

住所を頼りにたどり着いてお店に入ると、「春日の豆」という品だけがあったのでそれを買った。きな粉を練ったとても美味しいお菓子だった。


















                             ↑春日の豆
                           (植村義次さんのtwitterより)

家族にも評判で、後日、母が友人と京都へ旅行した時も私に店の所在地を聞いて訪ねた。訪ねたは良かったが、私の時には運よくあった「春日の豆」はなかったらしい。店の主人に「予約を受けた分しかない。」という説明を受け、「私たちは東京から来たのよ。何とかならないの。」みたいな文句を有閑マダムよろしく言ったらしい。その場にいた地元の方が、それを聞いて、「私はいつでも買えるから、」と予約してあったものを譲ってくださったそうだ。

こんなエピソードもあって印象に残っていた。
80年代の話である。

後からわかったことだが、植村義次で作っているのは、「御洲濱」と「春日の豆」で竿菓子の洲濱は予約のみ。このスタイルで御所の前で300年以上続けてきたお店なのであった。

 御洲濱
(植村義次さんのtwitterより)

数年前にも本屋で見かけた京の名店特集をパラパラめくり、植村義次・「御洲濱」「春日の豆」を見つけ、300年以上続いたスタイルを守りながら変わらず続いていることが嬉しかった。

今年3月に一泊で京都に行った時は、時間がなくて予約してから寄るということが出来なかったが、今度は何泊もするので、是非に、と思っていた。
でもあたふたと出てきたので、電話番号も何も調べずじまい。
息子に植村義次で検索してもらうと、閉店になっていると言う。

14代目植村義次氏は昨年心臓の手術を受けたようで、そのまま隠居なさったのだそう。後を継ぐ人がいないので、店を閉めたとの事。

事実を知ってから何日も経つ今でも何だか信じられない。
あの時以来行ってはいないし、一度だけしか行っていないが、私の中ではずーっと存在していたお店だった。
私が死んだ後だって300年以上続いたのと同じ様に続いていくのだと思っていた。

現実にはなくなってしまったお店であるが、あれ以来行ってないことで、そのまま私の中では生き続けていくお店なのだと思う。